22歳の夏、私は赤いハイヒールを好んではいていた。25年前のことである。
58センチのウェストに、ふんわり広がるフレアースカート。ラウンド・トゥ(丸い爪先)のカワイイ靴で脚を組むと、男の子たちが一様にちやほやしてくれたあの頃・・・1999年に地球が滅びるという噂があったけど、その年40歳になる自分を想像して、「おばさんになるくらいなら、死んだほうがまし」と思っていた。
女は誰でも、人生の半ばで、それまで「幸福の理由」だと思っていたものを失う。
58センチのウェストと、ラウンド・トゥの赤い靴(あるいは、それに象徴される、若さ)。22歳の私から、誰かがそれを奪ったら、私はきっと生きていく気力を失っただろう。今年、私は47歳になる。そのどちらもとうに失って、オーソドックスなパンプスをはく中年女になった。しかし、面白いことに、「死んだほうがまし」な人生は、やってこなかった。
昨日も、年下のセクシーなイケメン氏から、情熱的にキスを迫られた。結婚22年目のウェストの存在も危うい妻が、キスの一つくらいして帰っても夫も目くじらを立てないんじゃないかしら、と思ったので応じようとしたら、この彼が「あなたに、もうかんにんして、と言わせたいなぁ」とユーモアたっぷりに言ったのだった。
ん? と私の動きが止まる。その日、私は、400CC献血をした。仕事の合間にふと時間が空いたら、目の前に献血車が止まっていたからね。針を抜いて、絆創膏を貼ってくれた看護師さんが、「今日一日は安静にして、心臓がどきどきするようなことをしてはいけません」と言ったのだった。まずい。「かんにんして」までの情熱は、どう考えてもあかんやろ。
事情を話して、帰る、と言ったら、彼は「まじかい」とがっくり頭を垂れていた。「まじよ。オトナは、医療関係者の言うことはよく聞くの」
その晩、映画『靴に恋する人魚』を観た。
話は、足の悪かった少女ドドが、手術で人一倍きれいな足を手に入れるところから始まる。彼女は憧れの靴が履けるのが嬉しくて、美しい靴を山ほどコレクションしてゆくのだ。「絵本の人魚姫みたいに、足の代わりに、いつか声を失ってしまうのでは」と、かすかに脅えながら・・・
しかし彼女は、人魚姫のように悲恋に泣くこともなく、ひたすら優しいハンサムな歯科医と出会って結婚。甘い甘い生活が始まるのである。もちろん、話はそこで終わらない。結婚後、彼女が欲しがった靴が、キュートな赤いラウンド・トゥだった。私は、不安になって、どきどきしてしまった(結局、献血車の看護師さんの忠告は守られなかったのだ)。なぜなら、それは、私がウェストと一緒に失った靴にそっくりだったから。案の定、ドドは、その赤い靴を永遠に失うことになる。
その展開には、度肝を抜かれた。後半どうやって話をまとめるの?と心配したほどだ。けれど、大丈夫。話は、ちゃんと納得の場所にやってくる。考えてみれば、幸福の理由を失うことなんて、普通の女の人生にだって必ずあることだ。「若さ」だったり「キャリア」だったり・・・でもね、そんな幸福のよすがを失ったとき、女の人生が、本当に始まるのである。ホントだよ。
『靴に恋する人魚』は、女がオトナになるときに必ず通る痛い道を、ちょっぴりいぢわるに見せてくれる。でもね、幸福のよすがにしがみついている、半分オトナの女性たちにこそ、ぜひ見てほしい。そこから手を離しても大丈夫・・・映画はそうも教えてくれる。
私は、いつの間にか泣いていたらしい。15歳の息子が、ティッシュを差し出して「大丈夫?」と聞いてくれた。携帯電話には「今度は、献血なしでね。頼むよ」のメール。ほらね、やっぱり、「失った後の人生」も、そう悪いものじゃない。
映画「靴に恋する人魚」 http://www.ffcjp.com/kutsu/
・2006年9月、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
・パンフレットに黒川のエッセィが掲載されています
・プレスリリースから抜粋
「王子さまと結ばれただけでは、本当に幸せとは言えない ― 靴に恋する人魚
アジア全土で絶大な人気を誇るトップスターとなったオリエンタル・ビューティ、ビビアン・スーの最新主演作が遂に日本に上陸します。古今東西の名作童話からの多数の引用をちりばめて語られる物語は、シュールな寓意に満ちた大人のためのおとぎ話。劇中、ビビアンが身に着ける靴(約200足)や衣装(約15着)が話題を呼び、みごと台湾金馬奨最優秀美術賞を受賞。本作が監督デビューとなるロビン・リーは、レトロで大人可愛いビジュアルの裏に人生のほろ苦さをスパイスとしてしのばせた全く新しいラブストーリーを誕生させました。共演は『僕の恋、彼の秘密』でブレイクしたアジアの貴公子ダンカン・チョウ。また、この映画はアンディ・ラウが指揮するプロジェクト《FFC:アジア新星流》の記念すべき第一弾作品でもあります」