歳を重ねると、得することもある。その一つは、髪に力がなくなることかしら。
若い日のたっぷりとした髪は、重量感があって、まとめるのは容易じゃなかった。表面がすべすべしているので、つんつん跳ねて、すぐに崩れちゃうし。
けど今は、長いUピン一本で、巻き上げのアップが出来てしまう。髪に力がない上に、キューティクルも少ないせいだと思う。くるくるっと巻くと解けない。お蔭で、まるで、パリジェンヌのような「無造作なアップ」が楽しめるのだ。
昔憧れたフランス映画のオトナの女みたいに、仕事のとっかかりに、「さぁ、始めましょう」なんて号令をかけながらピン一つで髪をさっとあげ、仕事が終わったら、髪を解いて一服(私はタバコを吸わないので、単なるコーヒーブレイクだけど)、、、なんてことも出来る。
そういえば、こういう無造作なアップ、あんまり若い女優さんはしないわね。やっぱり、この感じは、中年女性の特権なのだった。
この間、その特権で、極上のワンポイント・ロマンスをもらっちゃった。
春まだ浅い晩、仕事の流れで、とってもセクシーな年下の男性と、お食事をすることになった。彼が約束の時間に少し遅れて登場したとき、さんざめいていた臨席のテーブルのおばさまたち(といっても私と同世代)を、一瞬しんとさせちゃうくらい迫力があるいい男である。
メイン・ディッシュが終わって、テーブルが片付けられたとき、肩にかけたストールを髪のピンに引っ掛けて、巻上げ髪が落ちてしまった。もう、お食事をいただくわけではないしいいや、と思って、シャンプーの後みたいに(ハーバルエッセンスのCMみたいに)、首を少し後ろにそらせて髪のからみをほぐしたら、目の前のナイス・ガイに、ちょっとした魔法がかかっちゃったらしい。
「ふたりきりになろう。
あなたの髪を洗ってあげたい。
なんだか、今夜はあなたを大切にしたい」
と、口説かれてしまった。
桜の蕾が膨らみ始めた、静かな宵である。つかの間の夢でも、素敵すぎる。なんだか、「ハウルの動く城」のソフィーになったような気分(って、ちょっと大げさ?)。隣のテーブルのおばさまたち(重ねて言うが私と同じ年代)は、あわててデザートを済ませて、そそくさと席を立ってしまった。見ちゃいけないものを見たぞ、これ以上は身体に悪い、ってな感じで。ふふふ
でもねぇ、私も身の程は知っている。彼にかかった魔法が明日の朝まで持つとは思えない。だって、私の使用済みのおっぱいは、仰向けには耐えられないもん(「ロマンティック・ブルー」の章、参照)。だからといって、うつむいて「床屋スタイルで、がしがしっといってください」ってぇのも色気がなさすぎ。暗闇でシャンプーっていうのもホラーだし。
その上、残念なことに、彼は、事の後に白けてしまったら勿体無いくらいに、人間として上質なのである。今夜捨ててもいい程度の男(いや、捨てられても、の間違いか)なら、どこまで魔法が解けないかに挑戦するという手もあったけど、そのリスクを背負うのには、彼は友人として大切すぎる。う~ん。
というわけで、その後、手を変え品を変え口説いてくれた労力を、ことごとく無為にして清らかなまま帰ってきたのだった。はっきりいって、一流パティシエのデザート・ブッフェを「甘いもの、キライですから」と断り続けるくらいに辛かった。
別れ際に少し拗ねて、「この次は許さないよ」と囁いた彼。私はクールなふりしてタクシーを降りたけど、「え~ん、この次、あなたは魔法にかかってないよ、きっと」と心の中で泣いていたのであった。
オトナの女には、惹かれたからこそ突っぱねる夜がある。ナイスガイの皆さん、「おばさんの分際で断るなんて身の程知らず」と怒らないでね。身の程を知ってるからこその清らかな夜、なんだから。
ま、結局、魔法は「無事」解けた。年下と言っても、彼もオトナだからね。
さて。
結果はどうでも「あなたの髪を洗ってあげたい」は、けっこう粋な口説き文句だった。せっかくだから息子に教えといてあげようと思って、「ママねぇ、イケメンにシャンプーしてあげる、って誘われちゃった~」と息子に自慢したら、「そのシチュエーションの何が嬉しいかよくわからん」と、にべもない。まぁ、中一男子には無理な情緒感ではある。「今はわからなくてもいいの。(潜在意識よ、覚えておきなさい)」と魔法をかけておいた。
すると、息子がふと、「ママ。韓国には、泣く子はおもちを一個余計にもらえる、っていう諺があるらしいよ。竹島のことは、その精神を踏襲してるだけなんだって。だから、日本人はあんまり過剰反応しないほうがいいって、韓国の人が言ってた。ママも、あんまり興奮しない方がいいんじゃない?」と続けたのであった。
実は、「竹島の日」問題勃発以降、私は複雑な思いを抱え、大好きな韓国ドラマを見れないでいるのだった。けど、そのくせ、チェ・ジウ(じゃないんだけどね。役名を覚えられないおばさん体質の私)のその後が気になって悶々とする毎日。息子は、そのことを指して、クールダウンしたら?と言っているのだった。
けど、そのとき、私はふと、「欲しい欲しいと騒ぐ男は、騒いだもの勝ちだと思ってるかもよ。ママもあんまり興奮しない方がいいよ」と言っているように聴こえた。
いや、まさか、ねぇ・・・どう考えても、偶然の一致だろう。とはいえ、息子の直感が、シャンプー事件と竹島事件を結びつけたのかもしれない。
気が付けば、息子との会話は、自分との内対話のようだ。似たようなDNAを持ち、毎日同じものを食べ、同じような時間尺で生きている息子の思春期前夜のまっさらなオトナ脳は、私の分脳のようなものなのである。でも、この一体感、彼に男性ホルモンの嵐がやってくると、すっかり断絶するはずだ。おそらく、もう1年も続かないに違いない。
あ~ぁ。イケメンの魔法も、息子の魔法も、解けないでくれるといいなぁ。人生に解けない魔法なんか絶対にないと、わかってはいるのだけど。