冬の日曜日、十二歳の息子がこたつにはまり込んで、「こたつ亀」になってしまった。手の届く範囲に、スポーツドリンクと漫画数冊とプラモデルまで置いてある。たまにうとうとしながら、自堕落な午後を過ごしている。私は隣室で仕事に追われていたので、これ幸いと放って置くことにした。
 しばらくして、息子が、「ママ、寂しくなったら、おいらを呼んでいいよ」と言う。
 理由を聞いたら、こたつから出るのが億劫なので、何かのきっかけが必要なのだそうだ。ママが寂しいとなったら、駆けつけないわけにはいかないじゃん、と偉そうな口を利く。
 私が寂しいからって息子を呼びつけたことなんかあったかしら? 反論しようと思ったが、仕事に集中したいのでやめておいた。
 ・・・それにしても、母親に「寂しい」と言われて駆けつけて、彼は何をしてくれるつもりなのだろうか。ふと興味がわいたので、仕事が一段落してから、彼に声をかけてみた。「寂しいから、きてくれる?」
 息子は、心底億劫そうな声で、「今、いいところだから、後でね」だそうだ。結局、母への愛も、こたつと漫画の愉楽には勝てなかったのね。私が笑いながら、彼の背中を小突いたら、彼が「こたつに一緒に入ろうよ。この漫画、絶対面白いからママも読んで」としつこく誘う。結局、こたつ亀の親子になってしまった。
 この日、夕飯の買い物に行きそびれたら、どうしても野菜が足りない。こたつから出られなくて悩んでいたら、「ママ、いいよ。明日の給食で、サラダのお替りしとくからさ」
 息子と寄り添って、冬の午後をこたつの中で過ごす。陽がゆっくりと傾くのを二人で見ていたら、ふいに息子が「ママ、科学者って、どうやって食べてるの?」と尋ねた。「大学や研究所からお給料が貰えるわよ」と答えたら、「ああ、よかった。それじゃ、おいら、科学者になるね」
 息子いわく、地球のCO2増加が胸がつぶれるほど心配なので、CO2をO2に還元する方法を発明するそうだ。その前に、と息子は目を輝かす。「地球上のすべての人が、毎日同じ時刻に一分間息を止めたら、少しはCO2が減らない?おいらの発明まで、それで対応できないかなぁ」
 う~ん。息子の「科学者」までの距離は遠そうである。息を止めても代謝は減らない。そんなこと、小学生でも、聡い子はわかるよ。
 けれど、その一分間を祈りだと考えれば、どうだろう。地球上のすべての人が、共に地球を思って祈る。無駄なエネルギー消費や、自国のためだけの粗野な開発が少なくなるはずだ。「きみは、科学者よりもすごいことに気づいたのかもしれないね」
 こたつ亀の親子は、この日、地球の未来を思って一緒に居眠りをした。夕飯の野菜は、「しかたないなぁ」とため息をつきながら、パパが買ってきてくれた。 家族を楽しもうよ。子育ては元来楽しいものだと思う。私は仕事の合間の息抜きみたいに子育てをしたので、終始いい加減で面白かった。
 子どもの脳には育つ力がある。育ち方には脳固有のスタイルがあって、10人10色だ。子どもが親の思い通りにならないのは当たり前で、だからこそ面白い。まずは、親がリラックスすることじゃないかなぁ。「家族」は義務じゃない、幸運の贈り物なのだもの。

(あけぼの2004年3月号掲載)

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